いつまでもあると思うな親と金 ということわざ。
いつまでも親が面倒をみてくれるわけではなく、親はいつか死ぬものであり、あると思っていても金は使えばなくなってしまうという意味から。
人は誰かに頼る心を捨て、節約して生きていけということ。
~故事ことわざ辞典より引用~
こんな意味があるそうです。
親にまだまだ世話になることが多いわたしにとっては、ズシリとくることばであります。(苦笑)
親にまだまだ世話になることが多いわたしにとっては、ズシリとくることばであります。(苦笑)
子連れでの帰省は、一年に一度できるかできないかでしたから、たった1、2か月の間で、数年分の訪問をしたわけです。
そんな中で、気づいたことがいくつかありました。
わたしが子連れで帰省するときは、両親はいつも、2階の冷蔵庫に入りきらないほど、アイスやらゼリーやら、子どもが好きそうな物をたくさん入れておいてくれました。
そして母は、「もうこれ以上食べられないよ」っていうくらい、いろいろと手料理を作って、朝昼晩と子どもたちに食べさせてくれていたのです。
わたしは一人娘なので、わたしの両親にとって、孫はうちの子どもたち3人だけ。
普段会えないからなおのこと、出来る限りのもてなしをしたいのでしょうね。
でも、今回の滞在では、冷蔵庫の中にはいつものように、たくさんのモノは入っていませんでした。
母は以前のように、たくさん料理を作ろうとしませんでした。
食事も実家のすぐ近くにできたファミリーレストランで食べたがったり、「おいしいパンやさんがあるから」と、そこでランチ用のパンを買おうとしたり。
食事も実家のすぐ近くにできたファミリーレストランで食べたがったり、「おいしいパンやさんがあるから」と、そこでランチ用のパンを買おうとしたり。
母の手料理をたべることはほとんどなかったのです。
親は自分の不調を子供に言わない
実は、冷蔵庫にモノが少なかったのは、買い物係だった父が腰を痛め、以前のように荷物を運べなくなっていたからでした。
普段の食べ物は、生協の宅配などを利用していたようですが、2階にある予備の冷蔵庫まで母が持っていくのが大変になっていたらしいのです。
母も膝を痛め、最近は、手にも力が入らなくなっていたのです。
そして、あまり動きすぎると、すぐに血圧が上がってしまうとか…。
血圧計の横に、見慣れない薬の袋がいくつも置いてありました。
全然知らなかったよそんなこと。
どうやらわたしに心配かけまいと、黙っていたようです。
孫の受験で忙しいときなのに、自分たちのことで世話をかけたくなかったのでしょうね。
わたしが50才になるのだもの、親だって年をとるわけです。(苦笑)
そして親の老化は、50才のわたしより早く進むのだということも、よくわかりました。
親が生きているうちにできること
「いつまでも親は元気でいるものだ」って、親の老化を認めたくない自分がいます。
でも、こうして老いていく親を目の前にすると、「そろそろやらなくちゃかな…」って思うのです。
そう、親がいなくなった後のこと。
まだ記憶も確かな今のうちに、話しておかなければなりませんね。
いつかは必ずくるその日のことを。
いつかは必ずくるその日のことを。
とうとうわたしも、そんな話をする年頃になったのかぁ。
しみじみ思う、今日この頃です。
しみじみ思う、今日この頃です。
今日もお読みいただきありがとうございました。
ではまた